少し野宿に慣れて、路上で寝ていたある日、「こんばんは。夜回りをしています。お弁当を持ってきました。」と声をかけられた。
ホームレス状態でも働ける日払いの仕事があることや、Homedoorが運営する個室で泊まれる宿泊施設「アンドセンター」へ行けば、生活の相談や宿泊が無料でできることを教えてもらった。
貧困ビジネスかもしれないと心配になったが、周りのホームレスの人も「あそこは大丈夫や」と教えてくれたし、もともと「死んでもいいや」と思っていたくらいなので、とりあえず話を聞きに翌日、事務所に行った。
一番の希望は「働くこと」。
アンドセンターに滞在しながら、Homedoorが企業や行政から受託する駐輪管理の仕事をすることになった。近い境遇の先輩が、丁寧にやり方を教えてくれて安心だった。
日払いで給料をもらいながら、一部を貯金して携帯を契約し、家を借りて就職活動をすることが目標になった。
数ヶ月後…自分の家を借りることができた。
家探しから家具や家電の用意、当面の食料を提供してもらい、引っ越し作業まで、Homedoorのサポートを受けることができた。次の仕事先も一緒に探してもらい、理解のある職場で働けることとなった。
相談後も、「おかえりチケット」を使って定期的にHomedoorにご飯を食べに行き、ちょっとした困りごとを相談している。
(上記ストーリーは、実際の相談ケースから再構築した内容です。)
14歳でホームレス問題に出会い、19歳で起業。
「問題を知ったからには知ったなりの責任がある。」
代表の川口は、通学の車窓から見えるホームレスの人が多い地域「あいりん地区(通称・釜ヶ崎)」のことが気になり、14歳の時に、炊き出しに初めて参加しました。
そこで、決して自己責任でホームレスになったわけではないことを知り、今まで話したこともない人に偏見を持っていたことを後悔しました。その後、問題を知ったからには何かするべきだと、講演活動を開催し、友達を炊き出しに連れて行くようになりました。
しかし、それだけではホームレス問題は解決しません。路上から脱出したいと思ったら、誰もが脱出できる社会にしなくてはと、高校3年生の時に、1枚の絵を書きました。
“とりあえず、あそこに行けばなんとかなる。”
相談に来たその日から、
ゆっくり休める個室が用意されていて、
温かいごはんが食べられる食堂があって、
誰もが働ける仕事がある。
そんな場所がこの日本でたった1つでもあれば、路上で亡くなる命、守れるんじゃないか。
この夢を実現しようと、ホームレス問題の研究が進む大阪市立大学に進学。大学2年生の時に設立したのがHomedoorでした。
「川口さんの夢が、僕の夢にもなったよ。」
ある日、Homedoorの支援を受け、ホームレス状態から脱出できた元相談者がそう言ってくれました。
頼れる人も家もお金も仕事もなくて、自分ではもうどうしようもない時、とりあえずあそこに行けば、なんとかなる。
そんな場所を目指して、これからもHomedoorの挑戦は続きます。ぜひ、応援いただければ幸いです。
ホームレス状態から脱出したいと思ったら、その人の特技や性格に合わせて何種類もの支援メニューを提供できることを目指しています。その種類が豊富で、支援体制が柔軟であればあるほど、より多くの人のニーズに沿うことができると考えています。
ホームレスになりそうという時、どこに頼ればいいかわからない人が多いのが現状です。そこで、「困ったらあそこに行けばなんとかなる。」という認識を広められるように、また、無一文の状態で相談に来られても、その日から安心して住める部屋を用意し、ゆっくりと、その人のペースで困窮状態から脱出できるような宿泊施設の運営を行います。
日本の路上で、人が亡くなるの? と思われるかもしれませんが、大阪市内でもひどい時には年間200人以上が凍死や餓死で亡くなられたという報告がありました。また、襲撃事件もいまだに起きています。Homedoorでは、ホームレス問題に関する正しい認識が広まり、襲撃が起きないことを目指しています。また、路上から脱出したいと思ったら、脱出できるよう、全力でサポートしていきます。
Homedoorと出会って、3つの大きな学びがありました。
まずは「意志と行動があれば、少しずつかもしれないけれど、社会は必ず変わる」ということ。
そして、「ホームレスの人たちは、私たちの今の社会がもたらした結果であり、原因はむしろ社会の方にある」ということ。
3つ目は、「一度失敗したら立ち直れないのではなく、何度でも挑戦できる社会を作りたいと思った」ということです。
これからもHomedoorの活動を力一杯応援していきます!
川口さんは名言の宝庫です。
当社は、デザインやクリエーションを通じてNPOのブランディングをお手伝いしております。
最初に川口さんにお会いしたときに、物凄い数の支援メニューやお仕事が用意されていたのです。
「メニュー多すぎてわかりにくくないですか?」って尋ねたら、川口さんは「どんな立場の人でも選択の自由が豊富にあることが大事なんです」とキッパリと返答され衝撃を受けました。
そんなキッカケから始まったお付き合いも現在では出前サービスアプリ開発にまで及んでいます。
「知ったからには、知ったなりの責任がある」本当に川口さんは名言の宝庫です。
※2022年度年次報告書より抜粋